FLASH8月20・27日合併号掲載、
『夫婦の絆』感想ご紹介です!!
【まいこさん】
「夫婦の絆」第17回の感想です。
「夫婦の絆」の発端となる「親子の絆」を垣間見ることのできた第17話。
置き去りにされた「いっちゃん」、幼子を抱き、あやす蜜子は聖母のよう。
ネグレクトの状態に置かれていたにも関わらず、蜜子が幼子の発育を促す安らかなスキンシップ、豊かな表情や情感を篭めた言葉を駆使できるのは、夫婦の絆が破綻していた両親に対してさえ、最後の最後まで愛情のひとかけらでも見出そうと希求しつつ、脳内で理想の「親子の絆」を描いていたからでしょうか。
生霊となった蜜子と死霊の沙耶が、「いっちゃん」の母親に見せた走馬灯は、身を分けた幼子を「親子の愛が欠けた人生」に突き落とす覚悟をしての身投げかどうかの試金石。残留思念を残す理論構築をした沙耶が左脳の指令である右目から、身口意にわたって己を律しつつ情愛溢れる蜜子が右脳の指令である左目から流し続ける滂沱の涙は、すべてのルサンチマンを浄化する大海へ。「神曲」で著された煉獄が天国に至る過程までも精密に顕わしてくださいました。
蜜子が煉獄を経て獲得した情愛に癒されている一郎は、前話でベランダにいた謎の女性と邂逅しました。「いっちゃん」呼びされれば、たちまち幼子に戻ってしまう一郎が「過去は忘れて、未来しか見ない」記憶喪失のままでいられるのか、「親子の絆」に翻弄された蜜子は「夫婦の絆」を守り抜くことができるのか、「記憶」に対する「気持ち」を制し切れない沙耶に救いはあるのか、逆巻く怒涛のごとくの展開に心奪われ続けています。
確かに!
親の愛情を知らず、「私は愛を知りたい!」と叫ぶ蜜子が、なぜ見ず知らずの幼子にあんなに愛情深い接し方をすることができて、たちまちなつかれてしまったのかと考えていったら、泣けそうな気がしてきました。
どこまでも深く掘り下げて読める、こんな漫画は滅多にありません!
貴方は今回、何を発見するか?
まだまだ感想、お待ちしています!